ITとインターネットが社会にもたらしたものもパラダイムシフトの一種です。ならば教育だけが昔のままで良いはずはないでしょう。教育もパラダイムシフトすることでその意味を見つめ直し、そのうえでITやネットとのつきあい方を考えていくのが真っ当な道です。しかし、カンファレンスのようなある意味選ばれしメンバーが集う場でさえ、パラダイムシフトの入り口にも立っていない人が少なくないようです。聴衆(ゲスト)もそうですし、発表者もそうです。パラダイムシフトが前提でない状態でいくら議論をしたところで、根本的な問題解決には至りません。問題の本質に近づけないからです。それどころか、パラダイムシフトの呼びかけに耳を傾けずノウハウを奪おうとする。そんな人たちすらいることは、悲しい現実です。
教師としてのパラダイムシフトをいつ経験するのか、それは日々の授業実践のなかであったり、同僚とのディスカッションであったり、書物や講師や学習者の言葉であったりするでしょう。私は大学の学部の早い時期に、指導教官の言動によって経験することができました。おそらくこれは幸運なことなのでしょう。教育現場にどっぷりと浸かっていると、教師と学習者という形式的で限定的な関係こそが教師のアイデンティティになってしまい、人同士のリアルな関係性とは離れた虚構の立場(教師と学習者)にしがみつく、とも言われています。自分の教師経験を(たとえそれがいったんであっても)否定することは、誰にとっても簡単なことではないでしょう。
本来ならば、どこかの機会にパラダイムシフトを経験した教育関係者が、カンファレンスに参加し議論の中核を担ってもらいたいと私は思います。パラダイムシフトは一時の言葉だけで起こるほど簡単なことではありませんから、カンファレンスの分科会などの限られた時間で即座に起こるものではないのです。しかしながら、パラダイムシフトなど頭の片隅にもない硬直した不勉強な教育関係者が想像以上に多い場では、多様で柔軟な教育観を持つ人の意見が、社会的地位や声の大きさによって封殺されてしまうことが起きています。これでは、話し合いの場に参加したいという気持ちが萎えてしまうのも無理からぬことです。
立場・分野・所属の多様な人たちが集まるのがCIECという会であり、様々な垣根を越えて教育を議論するのがカンファレンスの場であることは、CIEC自身が繰り返しアピールしています。ならば、カンファレンスでの議論を実のあるものにするために、CIEC自らが何か仕掛けを考えていく必要があることになります。教育関係者のパラダイムシフトという前提の実現は、あくまでひとつの側面ですが、いま絶対に必要な要素ではないかと思います。セミナーやワークショップ、イベントを開催しパラダイムシフトのきっかけを促すこと、あるいは関連機関と協力し人材交流などを行うことを通して、カンファレンスの議論を活性化すべきだと思います。
なぜそんなことまでCIECが面倒を見なければならないのか、そのような思いが私にもないわけではありません。教師が個々に内省し謙虚に学び続けていれば悩まなくてよい話かもしれません。しかし現状は現状です。「IT技術のスキルや知識面の情報交換」は、CIEC発足当初ならまだしも、他にも様々に有益なリソースがある現状を考えれば、CIECの第一の仕事とはもはや言えないでしょう。CIECがやらねば誰がやるという気概を持って、まずはCIEC自身が変わり、次にカンファレンスを変えていくため試みていく。私はその大役をCIECに期待したいのです。(続く)
PCカンファレンス2005 参加記 | 2005-08-09
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