私は確かに、情報教育の第一線で仕事をしているわけではありません。しかし、コンピューターには人一倍世話になってきていますので、楽しさも怖さもある程度は知っているつもりです。また教育に関しても、自分なりの立場で論じているつもりです。だから「情報教育について語る資格がない」とは思っていませんし、別に引け目も感じません。
私がこの世界に関わろうと思ったきっかけも、このPCカンファレンスでした。カンファレンスでのとある議題でまとめられていた話は、私にとっての教育の本質とは大きくかけ離れた、表層的なつまらない結論でした。それは教育学でいえば数世代前の内容にあたるものでもありましたが、私にとっては「そんな教育が生み出す社会なんてまっぴらごめん」だったのです。私は自分の住みたい社会がほしいし、自分の次の世代にも(私の思う)良い社会を作ってあげたいと思っています。だからこそ、自分の意見を表明し、社会を作ることに携わろうとしたのです。
具体的な実践例であれ、抽象的な理念の話であれ、その教育が実現する社会の見えないような話に大した価値はないと思います。逆に言えば、話に価値があるかどうかは、その教育が実現する未来に賛同できるかどうかである、とも言えます。
私たちはどんな社会を望み、どんな仲間を育てたいと思い、教育という行為に臨んでいるのでしょうか。どうして子どもたちはこんな姿に育ってしまったのだろうと思う時、それは私たちがそうしむけた(教育した)からだという視点も必要なはずです。理想は常に変わらず正しく、それを教育で実現できない教師がダメなのだというのは簡単です。現実はもっと複雑で変化していくものです。ITという新しい項目が教育に登場したいま、私たちは教育によって生み出すべき人間像をもういちど定義し直し、そのために本当に適切な手段で教育を実践しているかを常に問い直す必要があります。
なぜカンファレンスの場には、そんな根本から教育を考え直した発表が少ないのでしょうか。教育の根本を見直さなければならないと言われ続けているのに、相変わらずノウハウの追求に躍起になって、教師の役割や存在については疑おうとしていないように思います。カンファレンスに出席するより先にやることがあるのではないでしょうか。
同時に、カンファレンスには参加していないが教育をきちんと捉え直している教師は、きっと数多くいるはずです。そんな教師にこそカンファレンスに参加してもらうことが重要でしょう。きっと、コンピューターに振り回されて教育の本質を見失っている人たちに、厳しい言葉を投げかけてくれるはずです。
ITの知識やスキルを持っていることは結構なことです。しかし情報教育を担う人間に何より必要なのは、教育に対する姿勢や考え方の質です。ITスキルと教育者の質とどちらを取るかと仮定すれば、教師なのだから当然後者に決まっています。しかし残念ながらPCカンファレンスにも、教育者よりITスキル保持者が偉いような雰囲気があります。ITスキルがあっても教育を語りがたい人だっているはずなのに。ゲストで参加している少なくない方から「私はコンピューターに疎いので・・・」という声を聞きました。そんな言葉は聞かれないカンファレンスであるべきです。
カンファレンス3回目の参加を終えて、やはり問題は教育の本質への問いかけの不足にあることを改めて痛感しました。若いとか、地位がないとか、現場の人間じゃないとか揚げ足を取られたとしても、私は私の立場を逆に利用して、他の方が言いにくいことも真摯に言っていこうと思っています。ただし、カウンターや異端児で終わる気はありません。私の目指すものは、自分が言いたいことを言うことではなく、教育が変わることです。そのために自分は何をするのか、社会の変化のスピードに焦る気持ちを抑えながら、じっくり考えながら取り組んでいこうと思っています。
PCカンファレンス2005 参加記 | 2005-08-09
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