そして、ネット社会へのアクセスに教育的あるいは物理的にどんな縛りを設けるかを考えるとき、単純に子どもを社会から隔絶させてはいけない、ということがあると思います。これは会の最後に田中さんがおっしゃっていたことと近い(と勝手に思っている)、行動自体を縛るものであってはいけないという観点です。
今の子どもたち、そしてこれからの子どもたちは、物心ついた時からメールがパーソナルツールとして空気のように存在する世代です。今以上にリアルとネットの境界は薄くなるでしょう。私たちがいかにリアルなコミュニケーションの優位性を説いたところで、子どもたちは子どもたちなりにリアルなものを見つけ、それがデジタルであるかアナログであるかなどはあまり意識しなくなるでしょう。それは、たとえ図らずであったとしても、私たちが作り上げた未来の社会の姿です。
リアルな社会と同じように、ネットの社会も汚い。学校や家庭教育や法規制に抜け道があるのも同じ。だから鋭敏な感性を持った子どもは、大人が隠そうとしているものを見抜き、危険な世界へ好奇心もあって足を踏み入れます。大切なのは、子どものそうした行為の全てを潰してしまおうなどと考えないことです。子どもは親の思うようには育たない。子どもは子どもなりのルートを通って大人になるから、子どもは大人を超えられるのだと思いますし、社会が発展していくのでしょう。子どものすべてを管理下において、純粋培養させてはならないのです。
子どもを危険から守る対策をするのは当然です。でもその網をくぐり抜けて子どもがしたことが、その子どもや社会全体に大きな傷を与える結果とならぬよう、少しでも努力することも必要です。それはパーフェクトにはできないことです。でも、ある程度は失敗のできる社会にすることは、できるはずです。
こうしたことは、主にネット利用による被害・犯罪への巻き込まれ、という部分についてのことです。いっぽうで山上さんの紹介した事例のように、掲示板やチャットによるコミュニケーションの衝突が大事に発展する、ということもあるでしょう。でもこれもまた、ネット社会は何も特別なことではなく、全て現実としてつながっているんだと考えれば、子どもたちにそう認識してもらえれば、半分は片付く問題ではないかと思います。あとの半分は、人間としてのコミュニケーション能力、社会で生きていくためのスキルという大きな命題です。これは情報教育の問題だけではなく、教育共通の大命題でしょう。
私は、学校は社会と分離してはならないと思っています。かといって、学校と社会は同じだとは思っていません。学校は安心して失敗のできる場所であり、安心して学べる場所であってほしいのです。学校にいるうちに子どもはたくさん失敗して、たくさん学んでほしい。その学びが、厳しい社会で生きていくうえで生きてくると思うのです。これは、家庭と社会という比較においても当てはまることだと思います。
ネットの影が語られるときの、いたずらにネットを特別化し、リアルな社会と分離させようとするかのような発想に、私はいつも懸念を感じます。今回の話も、キーはそこにあるのではないかと思いました。
ネットとリアル社会を分離させるな! | 2005-12-12
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