情報教育の研究会で「NEW教育とコンピュータ」(学習研究社)を読む機会がありました。その2005年5月号の特集記事のひとつに、IT教育は子どもたちをみすみす危険にさらすことにつながっている、といった内容の記述がありました。また、ITの環境整備が進んでいないことは防犯においては不幸中の幸いである、といったことも述べられていました。うーん、どうなんでしょう。
その記事は、自殺や自傷行為、家出、出会い系や犯罪への関与などの問題と、ネットが裏社会に簡単にアクセスできるようになったことの関係について言及したものです。確かに記事にあるように、子どもたちは大人の知らないところで傷つき賢くなっていく現状がある、というのは事実でしょう。
しかし、逆説的な表現という意図があるかもしれないとしても、IT教育は子どもを危険にさらすだけだ、という言い方をしてしまうことには違和感を感じます。ネットは怖いから目を背けようという、現実から逃げている感じがして仕方がありません。
昨年末のJADIEのイベント(詳しくは参加記1/2/3を参照)でも感じたことですが、ネットを媒介してつながる世界は危険すぎて、特に学校関係者は大変な思いをしているようです。子どもたちを守ろうと努力した結果、学校では一切コンピューターをさわらせない方針にした、という報告もありました。その気持ちはよくわかります。わかりますが、それは決して最善ではないとも思うのです。
学校関係者や親がいくら頑張っても、現在も今後も、ネットは社会の様々な場面に登場し、より影響を与え、社会と不可分に結びついていくことは間違いありません。手の届く端末をクローズするだけでは追いつかないでしょう。もうこれは「そういう社会になっていくのだ」と思うしかなく、その中で「どういう社会にしていくか」を真剣に考え実現していく他ないのだと思います。
フィルタリングソフトの導入やハードの使用制限、闇の業者の活動を取り締まる法整備、地域が一丸となったサポートの網など、ネットの利用環境を少しずつでも大人が整備していくことは不可欠です。特定の時期まではコンピューターを使わせない教育環境を目指すというのも、ありでしょう。しかし、大人が張り巡らせた網をかいくぐって、子どもがネットの世界にアクセスする可能性は、ゼロにはできません。子どもの心の中にある興味や好奇心を消すこともできません。子どもを大人の完全なコントロールの下に置くことなど、考えてはいけません。
大切なのは、子どもがネットの世界に触れる瞬間のために、あらかじめネットに対する教育をしていくことではないでしょうか。ネットの知識や経験の多くは、ネットを通じてしか得られません。ネットの社会もまたひとつの現実社会であると捉え、ネット以外の部分からの人間教育とあわせて、ネットとつきあっていくための教育を進めなければならないと思うのです。そのために大人が努力しなければならないことは山のようにあります。簡単にはいかないものであることも事実です。ただ、臭いものには蓋をせよという発想では、社会を前向きにデザインすることはできません。
情報教育は、ひょっとしたら性教育に似ているのかもしれません。性の問題はストレートに話題にすることははばかられるものですが、無関心・無知であるわけにはいかない問題です。誰でもやがて性に対する関心や欲望を持つ、そして何らかの行為を行うことになる、その際に知識や意識がなければ大きな問題に発展する、という共通点があります。
セックスはいけない!と行為そのものを禁止するのか、避妊器具を配布して適切な行為を促すのか、その方法は対象や時期によっていろいろとあるでしょう。それでも、性に対する正しい理解はいずれ誰もが身につけるべきこと。ネットもまた、適切な情報を得ながら、自分はどう向き合っていくのかを考えるべき対象ではないかと思います。
だから、IT教育は子どもたちを危険にさらす、などと軽はずみに言うべきではない、と私は考えます。
ネットとリアル社会を分離させるな! | 2006-05-15
© Edu*Web by hokuto