もちろん、PowerPointを使ったプレゼンは全てそうである、というのではありません。同じソフトを使っても全く違った印象の話し方はできますし、PowerPointは異なる方法にも耐えうる柔軟性を持っています。実際子どもたちは、クリップアートをコラージュのようにペタペタ貼り付けたり、アナログ素材をスキャンして貼り込んだり、アニメーション効果を多彩に使ったりしていました。よく言うプレゼンのお作法からは外れる行為かもしれませんが、そうやって自由に使えるツールでもあるのです。
とは言え、昨年にコンピューターを使った経験があるという上級生の作ったプレゼンファイルには、似たような傾向がありました。複数枚のスライドを流れにそって配置し、発言内容を文で載せたり、項目を箇条書きにしたり、スライドの中のオブジェクトの色や大きさや配置を効果的に使ったり、ということです。これは、エディトリアルデザインという観点では進歩と捉えられるでしょう。オトナのPowerPointの使い方に近づいています。子どもたちをサポートする方たちがどの程度の方向付けをしたのかは定かではありませんが、ある種「子どもたちはPowerPointを使えるようになってきている」と評価できる姿ではないかと思います。
でも、私からすればこれって「面白くない」んです。早熟というか、そこらへんの大学生のみたいなスライドを小学生にして作ってると感じます。大学生レベルのリテラシーを身につけているのなら結構じゃないか、と思われるかもしれませんが、多くの大学生、研究者、大学教授のPowerPointの使い方は、別にすごくないと思うんです。同時にプレゼンも決して上手くない人が多いでしょう。プレゼン力があるなぁと思わせる人はPowerPointの使い方も上手だし、PowerPointはあえて使わないという人もいます。つまり、その程度のものを作る事自体は大したことではないし、ということです。
プレゼンの道具としてPowerPointを使いこなすということは、何らかの判断をもって主体的にPowerPointというツールを選び、目的を達成するためにそれを使うことです。それができない人のプレゼンが「いかにもPowerPoint的な発表」と言われるわけですし、それはPowerPointに使われているにすぎません。PowerPointが最も得意とするプレゼン資料を、チュートリアルに従って操作することで大量生産していくことが、「情報機器を活用したプレゼン」と呼べるのかどうか。
プレゼンテーションに対する私たちの発想の乏しさが根底にあるのは事実ですが、「いかにもPowerPointな発表」を嫌になるほど目にする現実を思うと、PowerPointを授業で扱うことに慎重になる必要があると思うのです。教える側が意識していないと、プレゼン=PowerPointという妙な図式を刷り込ませたり、そんな「いかにもPowerPoint的発表」をするのがゴールです、みたいな方向付けを子どもたちにしてしまう恐れがあるのではないでしょうか。
プレゼンテーションを考える | 2006-05-26
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