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PowerPointを教えることの危険性(後編)

子どもたちは独創的な発想や行動をするのと同時に、大人の評価の目を非常に意識するところがあるように思います。先生の考えていることを読んで、それにかなうようにやってみせるようなところ。子どもでなくともやっぱり褒められたいと思いますし、相手の意図を読むことは社会で必要とされる能力でもあるので、決して悪いことをしているわけではないのですが。

良くも悪くもPowerPointは社会のスタンダードツールです。プレゼンテーションはスタイルだという考え方も否定できません。そして「いかにもPowerPointな発表」が単純に(ある程度ですが)評価されるという現実があります。「せんせーが考えてるいい発表ってこんな感じじゃない?」というのを子どもは探ろうとします。大人はたいして自覚していなくても、PowerPointを教えることが、大人の既存のプレゼンスタイルを評価付きで子どもに再生産させている側面があるのではないでしょうか。私はそこがひっかかります。

小学生の頃からネットに親しむ子どもたちは、情報機器や情報環境に対して、私たちとはかなり違う感覚を持っているような気がします。デジタルとアナログもたいして区別しないで自由に扱える世代です。私たちにとってはスタンダードで比較的自由度の高いソフトであるPowerPointも、子どもたちにとっては窮屈な道具であるかもしれません。ならばひとつのソフトやハードに限定させず、意欲と思いを直感的に表現できる道具を子どもたち自身で見つけてもらえるよう、サポートすることもひとつの方法ではないかと思います。握るものは鉛筆なのかマウスなのかタブレットなのか、ぶつける素材は画用紙なのかデジタルなスライドなのか。あるいはDVカメラを使った映像や、素材を組み合わせた音楽かもしれません。

それならば教師は何を取り上げ、提供すれば良いのかという問題はあります。何を扱うにしても、学習者にある程度の基礎的なリテラシーを必要とするでしょう。だから段階的にひとつずつ見せていくわけですが、PowerPointのような、放っておいてもいずれ目にする社会的影響力を持ったツールを提示する際は、それなりの理由と配慮が必要だと思います。

本来プレゼンテーションは自由であるべきもので、聞き手に何かを伝えるためにするものです。標準的なツールで標準的なスタイルを再現できるかは評価点にはなりませんし、デジタルであれば偉いというものでもありません。あいつがPowerPointを使うなら、私はスクリーンの前で漫才をやる、というのでも構わないはずです。それで目的が達成できるというのであれば。

子どものうちは、きれいに小さくまとめる訓練だけでなく、気の向くままチャレンジすることも積極的に評価してあげたい。それが自由な発想と、道具に振り回されないパフォーマンスを生むような気がします。たいした自覚なくPowerPointを教えることが、子どもたちの可能性を閉ざす評価につながっていないか。私はそこにちょっとした怖さを感じたのでした。

プレゼンテーションを考える | 2006-05-26

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