タイピング教育は大切ですという声は昔から良く聞きます。カンファレンスでもたくさん聞きました。聞けば聞くほど「本当にそうか?」と思ってしまう性質なので、いろんな人の話を聞きながら考えてみました。
私はブラインドタッチが出来ません。それどころか、ほとんどのキーを右手の人さし指で打っています。測ったことありませんが、タイピング速度も遅いでしょう、きっと。そのことに軽いコンプレックスがあったりするので、タイピングソフトにも挑戦してみましたが、長続きしません。相変わらず下手な変則入力のままです。
タイピングをマスターしてみようかと(たまに)思う理由は、変則タイピングは体に負担がかかるのでやめた方がいいらしいということだけです。仕事上、このスピードでも大して不満がありませんし、別に人前でタイプして見せることもほとんどないので、それ以外の理由はありません。最近は、体に負担がかかるならそういう仕事はセーブしよう、と楽な方向に流れていっているので、タイピング練習の意欲は減る一方です。
タイピングを授業で扱うということは、良いことだと思います。入力デバイスをうまく扱えないと、コンピューター自体を楽しむことが出来ないからです。体にあまり負担をかけないような形で、本人がストレスを感じない程度のスピードで入力できるようになればいい。私はそんなふうに考えています。
が、タイピングを練習させる方便としてか、ソフトでスピードを競わせる実戦例が多いようですね。ゲームみたいでやる気も出るという感じでしょうか。まぁ、ある程度はそうやって子どもを乗せて取り組ませるのもいいとは思いますけど、シンポジウムで述べられていた、正しいタイピングを追求させるとか、情報活用の基礎は正しいタイピングからとか、そこまで正当にこだわらなくてもいいのではないでしょうか。過度にやり過ぎると、子どもがタッチタイピングを「社会で生きる必須スキル」みたいに誤解してしまうかもしれません。速さや正確さが求められる仕事はそう多くないのにね。
知り合いが会場で「使い慣れていないコンピューターを使うとタイピングミスが頻発する」という話をしていました。キーストロークやキーピッチ、キーの感触などは機種によってかなり違いますし、タッチタイピング慣れしている人ほど違いは気になるものなのでしょう。マイキーボードの予備を揃えるとか、理想のキーボードを探し求める人とか、たくさんいますからね(ちなみに私は2ヶ月ほど前にノート型のコンピューターを新しくしましたが、最初は打ちにくいと思っていたのに、数週間で慣れて何とも思わなくなり、今や昔のキーボードの方が使いにくく感じるぐらい、簡単に慣れてしまいます)。あんまり自分の型にはまってしまうのも、怖いことかもしれません。
それに、キーボードが文字入力デバイスの基本という考えが将来どこまでスタンダードであり続けるかも微妙なところです。私は携帯電話がなかなか使いこなせませんが、多くの若者は携帯型キー入力で驚くほど早く文章を作ります。卓上型キーボードが取って代わられる日も来るかもしれません。また、新しい入力デバイスが発明されて普及することもあるでしょう。タッチタイピングに自信のある小学生が大人になる頃、すでにキーボードは生産されていない世の中になっていた・・・とか、絶対ないわけじゃないでしょう。
今行われている情報教育の多くが、ハードやソフトの操作スキル教育を脱していないのは、情報活用能力の大半は知識と訓練だ、と思っている人が多いからではないでしょうか。いま社会で「情報活用能力がある」といわれる人に聞いてみればいいと思うんです。そんな薄っぺらな知識は役に立たない、という答えが返ってくるはず。今すぐオペレーションスキルを求めるための教育ならともかく、将来を見据えた能力を教育するのに、教育者が目先のことしか見えていないのは大きな問題です。
正しいタッチタイピングとやらを宗教的情熱で子どもに強制させるのは、どうなんでしょうか。自分の限られた経験や狭い認識だけで考えてるような気がしてなりません。推進派の方とゆっくり話がしてみたいですね。
2006PCカンファレンス関連 | 2006-08-18
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