カンファレンスのイベントのうち、いちばん「科目としての情報教育の話」っぽくない内容だった、シンポジウム3(CIEC小中高部会企画)が最も刺激的なイベントでした。何といってもパネリストの3人の教育者としてのオーラ、人間力には圧倒されました。自分も教育に携わる者として、教育をいっそう真摯に考え実践していかなければならないな、と改めて思わされました。
情報教育の諸問題を解決するためには、科目としての情報教育をどうするか、という視点ではダメなのではないかと思います。もっと根源的な部分に立ち返り、「情報」が私たちの社会や生き方にどう関わるものなのかを考え、情報ときちんと向き合える人間を「教育」によって育てる、という視点が必要だと私は考えます。この考えは、私が最初にカンファレンスに参加した2003年から変わっていません。
なぜ科目の内容についての議論ではなく、根源に立ち返るという遠回りをしなければならないのか。それは、情報教育に関わる人たちの多くが、いま進行中の「情報というものの全体像」をつかみきれていないと思うからです。情報は自明のものではありません。少なくとも、真剣に学ぼう・理解しようと思って取り組んでいない限り、その姿を適切につかむことは不可能だと思います。だから私も常々もがいています。極端に言えば、教える対象である情報を理解していないで何が教育だ、ということです。
同時に、教育が転換期を迎えている、という大きな要素があります。教師が一度に大勢の学習者に知識を伝授するような学びだけではダメだということが、いろんな形で浮かび上がってきています。新しい学びの形を真剣に模索し、実践していかなければならない時代なのです。
そして幸運にも、そんな時代に情報というものがやってきました。情報は社会に密着しています。人間の生き方にも直接関わるものです。様々なパラダイムシフトを余儀なくされるほど、大きな影響力を持っています。だから、情報と向き合うことは、教育を変えていくこととほとんど同義なのではないでしょうか。教育を変えるにはまず、教育者が変わらなければなりません。これも、情報を理解するのと同じくらい、大変なことだと思います。
もっと教育の本質にフォーカスした議論の場や、情報の全体像を理解するための場を用意してほしい。それが私のPCカンファレンスに対する要望です。例えばワークショップなどはどうでしょうか。いまは技術系のネタの共有がほとんどのワークショップですが、もっと本質的な理解やパラダイムシフトのためのワークショップがあっていいと思うのです。
なぜ情報教育のカンファレンスで教育一般の話をすべきなのか、というのは確かにそうです。しかしながら、情報というものをきっかけに教育を考えることは、教育を変えていくために非常に有効な手段なのです。情報は決して厄介な存在ではありません。とても重要なキーワードなのです。
2006PCカンファレンス関連 | 2006-08-23
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