コンピューターとマジにつきあう日々。
2008.04.06 12:02 am
最近、働き方系の本を読む機会があって、自分の今の働き方とか、目指すものとか、大事にするものについて改めて考えています。
KANの「めずらしい人生」という歌があるんですけど、その曲の最後のフレーズは
いちばん大切なことは 愛する人に愛されてるかどうかということだ
というもので、すごく好きなんです。いろいろカッコつけたくなるけど、やっぱり「愛されたい」という気持ちが一番根底にある、それも「自分が愛する人に」と思っています。ま、人間小さいのかもしれないですけど(笑)
で、極端に言えば、働くことも含め自分の人生観って、すべてそこから引っ張れるような気がします。
デザインって、デザインの対象を愛することや、デザインを受け取る人を愛することができないと無理だと思うんですよね。愛せないクライアントには心血を注げないし、ターゲットのことを全く理解できないようでは何をすればいいのかもわかりませんから。だから、やっぱりある程度は自分の心に沿った人たち(クライアントやターゲット)と仕事をすることになるものだと思います。これは、わがままというのとはちょっと違う、と自分では思っています。
また、いっしょにデザインに取り組む仲間もまた愛せないと、やっぱり苦しい。会社の同僚とか、社長とか、会社とか。もちろん細かい点で意見の相違はあっても、大きな部分で同じ方向を向いていない人とデザインするのは、その結果は良いものにならないと思いますし、それはお互いにとって不幸なことだから回避したい。そして、デザインを褒められるってことが、愛されるってことなんだと思うのです。自分の存在に意味があると評価されるということが。
そういう意味で、私にとっていちばん大事なことは、誰と関わるかということ。個人で仕事をしているからこそ、愛せる人を見つけることには貪欲でいなきゃいけないと思いますし、それは会社員であっても基本的に同じかなと思います。きっと社内外含めてそういう人を求めることはすると思います。
だから、今やってる仕事自体には、強いこだわりがないのかなという気もします。仮にHTMLを取り上げられても、Macを奪われても、それ以外に愛せる対象と愛せる人が絶対見つけられない、とは思わないですね。どんな仕事をするのかより、その仕事に対して自分が何を思い、その仕事にまつわる何を愛せるかがより重要。「こんな小さな会社ヤダって最初思ったけど、今はやりがいもあって面白い」って思うことって自然なことだと思います。その場に置かれて始めて好きになる、気付くこともあるわけですし。それが社会の中で生きてる感じにつながるんじゃないでしょうか。
これって、愛する妻と子どものためには辛い仕事も頑張る、というのもその延長なのかなとも思います。私は仕事も楽しくしたいですけど(笑)。生きていくため、元気でいるために必要な最低限のハードルがクリアできていれば、やっぱり自分一人のために何かをする、というところに自分の一番の楽しさはないです。愛する人がいて、自分が愛されているなら、愛する人のために頑張るって自然なエネルギーだと思います。自分自身が好きっていう要素もあるかもしれないですけど、やっぱりひとりでは何も生まれてこないんじゃないですかね。
category: 社会
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