コンピューターとマジにつきあう日々。
2008.05.04 11:34 pm
来週の情報教育系の学会で発表するネタを考えていたら、メモが文章にまとまってきたので、このブログをお読みの方に独占先行公開(笑)。もう1つ書きたいネタがあるけど、そっちは現段階では発表向きじゃないかな。難しいな。
私事ですが、最近自炊をすることが多くなりました。包丁をちゃんと握るのは学校の家庭科の時間以来ということで、ものすごく基本的なところが自分はわかっていない、ということを思い知らされます。そんな毎日なので、最近は料理に関する話題にアンテナが延びるようになりました。そこで今日は、料理の勉強から情報教育を考えてみようと思います。
インターネットを検索すると、お料理レシピは山のように見つかります。気に入ったレシピを見つけ、手順通り調理する。それを繰り返していれば、料理が「できるようになる」と漠然と思っていたのですが、しばらくやっているうちに「どうもそう簡単にはいかないぞ」ということがわかってきました。いや、確かにいずれは「できるようになりそう」なのですが、料理が「できるようになる」とはどういうことかが、よりはっきりとわかってきたのです。
料理ができる、とはどのようなことなのでしょうか。レシピ通りに料理が作れるということなのでしょうか。料理を作るとは、材料を用意し、調理器具を準備し、調理し、皿に盛りつける、ということです。そのガイド役、いわゆる教科書がレシピになるわけですが、そもそもレシピ通り作れるだけでは仕方ないことが往々にしてあります。
一人暮らしで料理を始めたての私には、まずレシピ通りの食材や調味料が手元にありません。調理器具もベストなものがあるとは限りません。揃えようと思えば買ってこなければならず、近くには売っていないかもしれません。何より全て買っていてはお金が足りません。現実には、レシピは参考にしこそすれ、冷蔵庫にあるものを手持ちの調理器具で料理に仕立てられることが一番重要です。
調理自体だって経験がないので、手間ばかりかかって上手くできません。できあがったものを食べてみて、反省会が始まります。何がまずかったのか、何が足りないのか、何をどうすれば美味しくなるのか。レシピで実現されるべき味がどんなものかを知る術はありませんが、好みも含めて、思い通りの味にする方法を考えます。その方法はレシピには書いてありません。
レシピに従って料理を作る、という反復学習で得られるものは何でしょうか。何も考えず機械的にレシピをこなしていても、私は「料理ができる」ようにならないと感じました。それでも、多くの人はそれなりに「料理ができる」ようになる気がします。反復学習の過程では、料理の手順以外に何を学んでいるのでしょうか。
毎日の生活では、食材ひとつ、調味料ひとつ足りないからといって、今日は料理をしない、何も食べないというわけにはいきません。何か足りないなら足りる料理を別に考えるか、何かで代用するかして食べられる味に調理するものです。料理はするかしないかではありません。100点満点でなくても、80点くらいを何とかしてゲットする必要があるのです。それができることを「料理ができる」というのではないのでしょうか。
コンピューターを学ぶ、インターネットを学ぶという情報教育も、同じようなことが言えるのではないでしょうか。授業で扱ったOS、ソフト、操作手順と異なるものを要求されても何もできない、では学んだことにならないはずです。Wordじゃないと文書が作れません、画像編集はPhotoshopを用意してくれないとダメです、インターネットはInternet Explorer以外考えられません・・・それでは実際問題として困るはずです。また、どんどん移り変わっていくIT環境に対して、きちんと知識や理解をアップデートしていくことも必要とされるはずです。そんなことは学校で習っていません、ではいけないはずです。
情報教育も料理の勉強と同じように、座学はあれど実践で学ぶことが多いでしょう。レシピに沿って調理するように、何かの課題をコンピューターで処理する活動を授業で行います。しかし、料理ができること=レシピを覚えたりその通りに調理できること、では必ずしもないように、教師の指示通りコンピューターのオペレーションができるようになることが、情報教育の目的にはならないことは明白です。オペレーションを学ぶだけでなく、オペレーションの先にある何かを学ぶことが重要で、それこそがリテラシーではないかと思うのです。
親子丼の調理過程で学んだことが他人丼の調理に生かされるように、コンピューターのオペレーションのひとつの学びが他のことに生かされなければ、いくら学んでも「使える」ことにはならないでしょう。逆に言えば、学んだことを他に生かせているからこそ、始めて使うアプリケーションで目的が達成できたり、マニュアルやメニューの項目を全部あたらなくても「このアプリケーションではできない」ことがわかったりするのです。
料理を学ぶということは、料理という世界を理解し、同時に料理という切り口で世界を理解することである、と最近は思うようになりました。相互に関連し合う調理プロセスは、料理の世界の複雑さを感じさせます。一見、調理の瞬間だけが料理のように思えますが、スーパーに行って食材を選ぶ瞬間も、誰かが「おいしい」と喜んでくれる瞬間もまた料理の世界です。食材や調理方法や食事の道具には、歴史や文化や慣習や経済を見ることができます。
情報教育も同じで、コンピューターやインターネットを使うことで、目的を果たしながらその世界観や構成の具合を知り、同時にそれを切り口にして、世界の様々な側面を学ぶこともできます。そうやって世界にふれることができるのが、学びの面白さのひとつであり、それを実現する手助けをするのが教育ではないでしょうか。
こうしたことは、きっと料理や情報教育以外にも当てはまるでしょう。料理のコツ、オペレーションの先にあるものとは、いったいどう表現されるのでしょうか。それを意識して教育を行っていれば、操作教育が情報教育だ、と言わんばかりの授業にはならないように思います。
category: 社会
Copyright 2007 hokuto@ All rights reserved
コメント
コメントする