コンピューターとマジにつきあう日々。
2008.07.19 1:54 pm
「MarkupDancing » 「つながれる」んですね。」を読んで知った、auの「買い方セレクト」のキャッチコピーおよび歌の中で使われている「つながれる」というフレーズ。なんちゃって日本語教育関係者としては、ツッコミを入れておかなければなりますまい。
「おとくに ぐっと つながれる」という形で使っているauの意図を推測するに、家族と携帯電話というツールを介して「つながることができる」=「つながれる」と言いたいのかな、というか私はそう思いました。確かに「つながる」は「自然にそのような状態になる」というニュアンスの言葉なので、それを可能形(できる)として使うこと自体が日本語のルールからは外れたものだと言えます。
「大きな声では言えない…日本語教師の告白 | AUの「つながれる」が意味する内容」での指摘のように「つながれる」は「鎖につながれる」というようなニュアンスの言葉であるので、「auのサービスに家族とともにつながれてしまう」というメッセージに聞こえるというのも一理あるかと。
この表現に関してどう感じるか(それ以前に気に留めるかどうかというレベルの話かもしれませんが)は、やっぱり人それぞれです。「城島明彦(作家)の『ちょっとあぶない雑記帳』: KDDIは、言葉に関わる商品を売っているという自覚がない」のように企業の社会的責任感の希薄さをする人もあり、「おトクに ぐっと 「つながれる」 - seattle_2007の日記」のように、こうして話題になるのは優秀なコピーであると考える人もいます。
私個人としては、「つながれる。 - 日本語教えています - 楽天ブログ(Blog)」でbailarinaさんが書かれているのが実感としては近いかなぁ。社会とつながれる安心感、というね。携帯電話の普及で「つながる」という言葉の日常感がすごく高まって、「つながっている状態」がイマドキの若い人にはすごく重要なことなんだと思います。もっと言えば、目的を持って「つなげる」という自分自身からの積極的な行動ではなく、「何をするわけではないけれど、なんとなくつながっている状態にしておきたい」という欲求。そういう感覚で耳にする「つながれる」は、従属的なニュアンスではなく「つながった状態にしてくれるのならいいじゃん」という受け入れられ方をするのではないかと思います。20台前半くらいまでの若者は、そういうふうに読み取ってる人が多いんじゃないかなぁと。
個人としての言葉の好みや持論はありますが、生まれてくる言葉、定着する言葉を完全にコントロールすることは誰にもできません。言葉は世の中を反映するものだと思うので、こういった言葉が生まれてくる社会背景を考える良い機会だ、というぐらいに今の私は考えています。
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